生産と消費、仕事と日常
先日、宮崎駿さんのインタビューがXのタイムラインで流れてきました。いかにも老害っぽいコメントなんですが、とても心に刺さったので共有します。
これはiPadが出てきたばかりの頃?に書かれたインタビュー記事なんですが、宮崎駿さんのコメントが辛辣で、それでいて「そうだよなあ」とも感じました。以下に関係箇所を引用します:
――今日は宮崎駿監督にiPadをきっかけにして監督の「情報技術との関わり方」を聞きたいと考えています。
宮崎:
あなたが手にしている、そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色わるいだけで、ぼくには何の関心も感動もありません。嫌悪感ならあります。その内に電車の中でその妙な手つきで自慰行為のようにさすっている人間が増えるんでしょうね。電車の中がマンガを読む人間だらけだった時も、ケイタイだらけになった時も、ウンザリして来ました。(中略)
一刻も早くiナントカを手に入れて、全能感を手に入れたがっている人は、おそらく沢山いるでしょう。あのね、六〇年代にラジカセ(でっかいものです)にとびついて、何処へ行くにも誇らしげにぶらさげている人達がいました。今は年金受給者になっているでしょうが、その人達とあなたは同じです。新製品にとびついて、手に入れると得意になるただの消費者にすぎません。
あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい。
さて、これが15年前のインタビューです。最後の「あなたは消費者になってはいけない。生産する者になりなさい」というのは、シビれますね。
僕もchatGPTとか生成AIを使いまくるんですが、「最先端のテクノロジーに触れる気持ちよさ」に浸っているだけだったらダメだよな、と猛省しております。
もちろん、役にたつものは取り入れるべきだし生産性を高められるならそれで良いわけですが、そのためには「そもそも生産性って何よ?」ってのがわからないと話にならないわけで。
結局、「生産とは何か?を分かっていない人」にテクノロジーを与えたところで意味がないんですよね。身の引き締まりました。
僕は仕事というのは「世の中の困りごとを解消するもの」だと思っていて、それが生産であり、効率化すべき活動だと捉えているんですよね。
裏を返せば、「自分の困りごとを誰かに解消してもらう」ことが消費、ともいえます。
誰かに気持ちよく生きてもらうために生産して、自分が気持ちよく生きるために消費する。それをうまくバランスさせられる人が気持ち良い人生を送れるんだと思います。
逆に、「生産しているつもりが消費している」とか「消費せずに生産ばかりしている」とか、そうやってバランスが崩れると歯車が狂うんだろうな、と思います。
生産者として、消費者の皆さんには気持ちよくお金を払ってもらう。同時に、消費者として、生産者の皆さんに気持ちよくお金を払う。
こういう気持ちよく過ごせる仕組みを整えていきたいもんだなあと、ぼんやり考えておりましたw
追伸
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