【考える力】「計算して比べる」だけならサルでもできる。分析とは言わない。

資産運用の上手さは結局「勘」と「運」、そして「想像力」で決まる。
資産運用の上手さは結局「勘」と「運」、そして「想像力」で決まる。

「計算」や「比較」をするのはもちろん重要です。勘違いされたくないので、念のため。

私が得意としている分野は「システムトレード」という、統計データに頼ったトレード手法。システムトレードでは数千回を超えた膨大なケーススタディを用いて、投資手法の有効性を検証していきます。

しかし、このテクニックが未来にも通用するかどうかは、誰にも分かりません。結局のところ、最も重要な「これって使えるの?」という疑問に答えるには数字を計算したり、比較するだけでは足りないんです。

投資テクニックの開発自体はそこまで難しくはありません。データを数時間いじっていれば、誰にだって優位な投資ノウハウを開発することはできます。ノウハウが開発できたら、その次にすべき意思決定は

「この投資で運用をすべきなのか?」
「それとも、やめておこうか?」

というもの。実は、このプロセスが非常に重要で、軽視している方が多いのではないかと危惧しています。データ解析に慣れてくると、どうしても数字ばかりを追ってしまい、定性的な分析を怠ってしまうもの。しかし、どのような時も定量化できるものは目安・道具でしかなく、重要度が高く影響が大きいのは定性的な情報であることが多いです。

銘柄を分析した後には必ず「実行するか」「やめておくか」という二択を迫られます。ここで正しい意思決定ができるかどうかで、あなた自身の投資家人生の寿命が如実に現れてくるワケです。

では、私がどうしてこのような結論に至ったのか。本記事では、その理由を解説していきます。

 

目次

  1. 定量的な分析は誰にでもできる。
  2. 超一流のスポーツ選手達が考えることを想像してみた。
  3. 定量解析から得る「知見」は千差万別
  4. 想像力次第でデータ解析のアウトプットは倍増できる。
  5. まとめ:分析は「作業」じゃない。

 

1. 定量的な分析は誰にでもできる。

定量的な分析は誰にでもできる。

冒頭でも述べましたが、これからする話は、「きちんと分析をしている方」を対象としています。

なんだよ、運なのか。なら、分析なんて意味無いじゃん

とは思われたくないので、繰り返し注意しておきます。

財務分析をする、過去データを集める、ケーススタディをする…。というように、定量的なデータ解析をするのは非常に重要です。重要どころか、投資家ならば「必須」の工程だと言っても過言ではありません。

運が無くても、勘が冴えなくても、想像力が無くても、

データさえ味方につけておけば、死ぬことはなくなります。ギャンブラーのように愚かな案件には手を出さなくなりますし、リスク管理のノウハウも身につけられますからね。

しかし、重要なのはここから。

定量的な分析は、誰でも得られる「実験データ」でしかないんです。

たとえば、「1日で500円以上下がったら翌日には平均で100円上がった。勝率は80%だった。」という統計データが得られたとしましょう。これが事実ならば、とても儲かる投資ノウハウに見えるでしょう。

しかし得られたデータは、それなりの価値があるものの「最重要」ではありません。なぜなら、データさえ持っていれば、誰でも同じ「解析結果」を得られるから。これは、定量的(数字だけ)な世界だからこその利点なのですが、欠点でもあります。つまり、実験データは、調べようと思えば誰にだって調べられます。いつ見つけられてもおかしくありません。

もちろん、このノウハウは使えると思います。思いますが、「じゃあ、すぐ使おう」と決めてしまうのは早計。ここから先に行う定性的な分析の方がもっと重要です。

(理系の方ならば「結果」よりも「考察」が重要といえばお分かり頂けるでしょう。)

たとえば、定性的な分析にはこんなものがあります。

  • このテクニックを見つけるのに、どれだけの労力が必要か?
  • 同じような発想をする人は、今まで居たのか? そして、これから現れるのか?
  • なぜ500円下がると100円上がるのか? 下がったのが原因なのか? それとも何か材料があったのか?
  • 全体では勝率80%だったけど、この傾向にムラがある。この要因は何なのか?
  • 何がこのテクニックの勝率を高め、期待値を上げる主要因なのか?

こういうことを、きちんと考えているかいないか。これこそが、「優秀な投資家」と「圧倒的に優秀な投資家」を分ける分岐点です。

 

2. 超一流のスポーツ選手達が考えることを想像してみた。

スポーツ選手が考えることを想像してみた。

このような定性的な分析に長けているのは、スポーツ選手です。たとえば、テニス業界を賑わせている錦織圭選手や野球のイチロー選手。マインドスポーツ選手も同様で、将棋棋士の羽生善治棋士などがこういった分析に長けているのではと想像しています。

想像してみて下さい。

錦織圭選手は体格差のある選手を相手に勝ち上がり、
イチロー選手は41歳、羽生善治棋士は現在44歳、体力的に衰えが出てくる年齢です。

投資で喩えれば、

自分以外、全員がプロ。分析能力にも長けていて「定量的な解析」は誰でもできる。彼らの持つPCは性能が高く、高速・高度な解析が可能。そして、自分は手数料がポジションの1%と非常に高額なハンデを負っているとしましょう。

こういう厳しいハンデを負った上で、活躍しているのが錦織選手やイチロー選手、羽生棋士という存在です。

彼らがハンデの中で勝ち続ける理由は、分析を定量的な単純作業に終わらせることなく、1日中「定性的な分析」のために頭を動かしているからでしょう。

中原も一時期オセロにハマっていた時期があるのですが、「最善手の暗記」「セオリーの暗記」といったパターン学習だけで勝てることって、殆ど無いんですよね。つまり、座学だけじゃ役に立ちません。

対局を通じて経験を重ねると、「相手の実力」が見えるようになってくる。更には、「新しい勝ちパターン」や「相手のミス」、「不利な時の対処法」などが見えてくる。

超一流のスポーツ選手がが感じとっているものはそれだけでなく、「対戦相手の得意分野・苦手分野」「今の自分に対して相手が練ってくる下準備」「これらを基に相手が選択するであろう道筋」を深く理解しているのだと思います。これらは数字では把握できないことです。

 

3. 定量解析から得る「知見」は千差万別

定量解析から得る「知見」は千差万別

では先ほど挙げたように、あなたが「不利」な状況にいるとしたら、どうやれば利益を残せるのでしょうか?

こういった状況では、「数字の分析」を土俵にしている限り、儲けるのは到底不可能です。同じデータを基に、「どこに進むべきなのか」「いつ使うべきなのか」「なぜ使えるのか」に関する理解を深め、競合に見つかっていない機会を見つけ出すのが肝要です。そして、これらの問いには数値だけでは答えられませんし、あなたにしかできません。

アイデアや思考プロセスは人によって多種多様ですから、同じ結果を見た時に得られる考察・知見は人によって全くバラバラ。この領域にこそ、あなたが独占できるチャンスが眠っているんです。

 

4. 想像力次第でデータ解析のアウトプットは倍増できる。

想像力次第でデータ解析のアウトプットは倍増できる。

想像力を働かせれば、定量的なデータ解析を数回行うだけで、幅広く応用することが可能です。StockForecastでお送りした例では、以下のバックナンバーが「考察」の良い例でしょう。

【ご紹介】私が愛用しているテクニカル指標とその理由

目の前にある数字を比較したり、単純作業に落としこんだり、自動化する…。これらはとても重要なことなのですが、どんなにケーススタディを蓄えても、どんなに本を買っても、それらを読み、汲み取り、のちのちに活かさないのでは全く意味がありませんよね。

ご紹介した記事は、数字だけでは全く読み取れない「アイデア」を記したものであり、「当たり前だけど気付けない」内容の、定性的な考察です。現に私は、このアイデアに思い至ったおかげで、普通は思いつかない投資アイデアに巡りあえたり、効果的に分析を進められているんです。

考察は非常に面倒で疲れますし、良い結果が出ないことも多々あります。しかし、「誰でもできる」定量解析の範疇から抜け出すだめには、自分の頭で考えて考察する以外に方法はありません。

また、良い考察ができれば莫大な利益を手に入れられます。これこそが、投資家が求めるものですよね。

 

5. まとめ:分析は「作業」じゃない。

まとめ:分析は「作業」じゃない。

投資家のゴールは「利益を出し続ける」こと、というのは間違いではありません。

しかし、忘れがちなのは私達がフォーカスすべきなのは目先の利益ではなく、「真理の探求」「最高の一手の探求」であるということ。

羽生棋士は「対局相手が悪手を指すとため息をつく」という噂があります。世界一の投資家、ウォーレン・バフェットは「株価が上がりすぎたから売った」という話をしたこともあります。

彼らにとって、分析とは「数字」や「暗記」といったデータだけではなく、自頭を使い、想像力を働かせ、勘に頼り、運を使い…というような、感覚に頼ったものなのでしょう。「最高の一局を残したい」「自分の信じる価値を価格が上回ったからこそ、保有するのは危険だ」と感じたからこそ、彼らのため息や発言が生まれたのだと思います。

分析は機械じみた「作業」ではありません。

むしろ、想像力を最大限に活かせる「創作」であり、「芸術」である、と私は考えています。